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砂糖の歩んできた道 その8

2020/2/25 デンタル〇〇デザイン

サトウキビの密貿易によって、薩摩藩は財力の半分を得ていた。(注1)
薩摩は砂糖のおかげで、幕府と対抗できる財力を持ったのだ。
では、この莫大な金はどのように使ったのだろう?

さて時は幕末、頻繁に外国船が来航し開国に圧力をかけていた。
しかも鹿児島は中国に近く、三方は海に囲まれ危険な地域である。
そこで薩摩藩主 島津斉彬は、豊富な財力で①軍艦や商船の購入、②造船や鉄鋼の近代的な工場(集成館)の建設、そして③欧米へ留学生を派遣し外敵に備えた。(注2)
なかでも軍事の強化が必要と考え、錦江湾に85台の大砲を設置した。

さてその頃、薩摩藩はイギリスとある事件を起こした。
島津久光の行列に馬に乗った英国人が遭遇したため、薩摩藩士が殺害したのだ。

これが有名な生麦事件である。(1862年 神奈川県 生麦村)
そこで怒ったイギリスは、軍艦で鹿児島の錦江湾に攻め入り、薩摩藩の船を拿捕した。これが薩英戦争である。(注3)

イギリスは、薩摩藩が驚き降参するだろうと思っていた。
ところが、薩摩藩は砲撃を開始した。
これはイギリスにとって思いもよらないことであった。
慌てて応戦したが、2名の指揮官を含め63名の死傷者を出した。
その結果、薩摩藩は勝利したのである。
しかし薩摩藩は、世界最新のアームストロング砲の威力を知った。

このままでは、いつか植民地にされることを悟り攘夷の考えを捨てた。
イギリスも、中国と同様にはいかないことを認識し和解した。

これがきっかけで、日本は明治維新への道を歩み始めた。
もし薩摩藩が大砲を持っていなければ、どうなったかわからない。
現在の日本の繁栄は、奄美の砂糖のおかげと言えるかもしれぬ。



注1 司馬遼太郎NHK大河ドラマ「跳ぶが如く」(藩財政の八割という説もある。)
注2 薩摩藩はサトウキビで得た資金で軍艦(春日丸 他14隻)、近代的な工場(集成館)、欧米へ留学生・江戸へ藩士(500~700名)を派遣した。
注3 薩英戦争:1863年、生麦事件の解決を迫るイギリス艦隊は、鹿児島湾に攻め入った。この戦争によって薩摩藩の死傷者は24名であった。


参考
川北 稔:砂糖の世界史  岩波ジュニア新書1996年
大江修造:明治維新のカギは奄美の砂糖にあり  アスキー新書2010年
角山 栄:茶の歴史  中公新書1982年
安藤孝久:砂糖の知識  口腔保健協会1978年
玉木俊明:先生も知らない世界史  日経プレミアシリーズ2016年
西 鋭夫:新説・明治維新  ダイレクト出版2016年