サトウキビの密貿易によって、薩摩藩は財力の半分を得ていた。(注1) 薩摩は砂糖のおかげで、幕府と対抗できる財力を持ったのだ。 では、この莫大な金はどのように使ったのだろう? さて時は幕末、頻繁に外国船が来航し開国に圧力をかけていた。 しかも鹿児島は中国に近く、三方は海に囲まれ危険な地域である。 そこで薩摩藩主 島津斉彬は、豊富な財力で①軍艦や商船の購入、②造船や鉄鋼の近代的な工場(集成館)の建設、そして③欧米へ留学生を派遣し外敵に備えた。(注2) なかでも軍事の強化が必要と考え、錦江湾に85台の大砲を設置した。 さてその頃、薩摩藩はイギリスとある事件を起こした。 島津久光の行列に馬に乗った英国人が遭遇したため、薩摩藩士が殺害したのだ。 これが有名な生麦事件である。(1862年 神奈川県 生麦村) そこで怒ったイギリスは、軍艦で鹿児島の錦江湾に攻め入り、薩摩藩の船を拿捕した。これが薩英戦争である。(注3) イギリスは、薩摩藩が驚き降参するだろうと思っていた。 ところが、薩摩藩は砲撃を開始した。 これはイギリスにとって思いもよらないことであった。 慌てて応戦したが、2名の指揮官を含め63名の死傷者を出した。 その結果、薩摩藩は勝利したのである。 しかし薩摩藩は、世界最新のアームストロング砲の威力を知った。 このままでは、いつか植民地にされることを悟り攘夷の考えを捨てた。 イギリスも、中国と同様にはいかないことを認識し和解した。 これがきっかけで、日本は明治維新への道を歩み始めた。 もし薩摩藩が大砲を持っていなければ、どうなったかわからない。 現在の日本の繁栄は、奄美の砂糖のおかげと言えるかもしれぬ。 注1 司馬遼太郎NHK大河ドラマ「跳ぶが如く」(藩財政の八割という説もある。) 注2 薩摩藩はサトウキビで得た資金で軍艦(春日丸 他14隻)、近代的な工場(集成館)、欧米へ留学生・江戸へ藩士(500~700名)を派遣した。 注3 薩英戦争:1863年、生麦事件の解決を迫るイギリス艦隊は、鹿児島湾に攻め入った。この戦争によって薩摩藩の死傷者は24名であった。 参考 川北 稔:砂糖の世界史 岩波ジュニア新書1996年 大江修造:明治維新のカギは奄美の砂糖にあり アスキー新書2010年 角山 栄:茶の歴史 中公新書1982年 安藤孝久:砂糖の知識 口腔保健協会1978年 玉木俊明:先生も知らない世界史 日経プレミアシリーズ2016年 西 鋭夫:新説・明治維新 ダイレクト出版2016年
著者岡崎 好秀
前 岡山大学病院 小児歯科講師
国立モンゴル医科大学 客員教授
略歴
- 1978年 愛知学院大学歯学部 卒業 大阪大学小児歯科 入局
- 1984年 岡山大学小児歯科 講師専門:小児歯科・障害児歯科・健康教育
- 日本小児歯科学会:指導医
- 日本障害者歯科学会:認定医 評議員
- 日本口腔衛生学会:認定医,他
歯科豆知識
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人が噛む効果について、また動物と食物の関係、治療の組立て、食べることと命について。
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