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ある野犬の子犬物語【2】幸福感をもたらすパートナー

ある野犬の子犬物語【2】幸福感をもたらすパートナー
ある野犬の子犬物語【2】幸福感をもたらすパートナー
【1】出会いからトライアルまで より続く

トライアル期間を経て、飼い主になってからも、私が家に帰ってくるとサッと逃げるので、夢に描いていた「飼い犬から毎日尻尾を振って歓迎される図」は儚く崩れました。飼い主と犬の間には特別な関係が成立していて、見つめ合うとお互いにオキシトシンが分泌されるという研究結果があるのですが。
Nagasawa, Miho, et al. "Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds." Science 348.6232 (2015): 333-336.

しかし、9ヶ月頃からか、私が出かける時に柱の陰から「行ってしまうの?」と言わんばかりの健気な眼差しを向けてくれるようになり、間もなく尻尾を少し振って迎えてくれるようにもなりました。やっぱり犬だったんだ!と安心しました。

これだけはきちんと躾けようと思っていたことは、絶対に人に牙を向けないことです。甘噛みが可愛くても「人を噛んだら殺されるねんで!」と言って、首を押さえて私の指を強く当てて、母犬が子犬を教育する方法を真似ました。おかげで、数ヶ月すると、タオルで引っ張り合いをしながら激しく遊んで興奮の頂点に達しても、手でタオル全体を掴むと全くタオルを噛もうとしません。見知らぬ人に、嫌なところを触られても、大丈夫です。

歯磨きは、人間の赤ちゃんのように、始めに口唇を手でペタペタ触るようにして慣れさせました。そうは言っても敏感な部位なので、少し触っては餌をあげ、触っては餌をあげを繰り返しました。それから人間用の歯間ブラシの特大サイズを口の中に入れてコショコショとする練習。そのうち「あ~ん」と言うとあくび混じりに口を大きく開けてくれるようになりました。

ところが、どうやっても人間のように全歯の舌側の歯頚部を磨くのは不可能です。犬の歯磨きは普通にされるようになってきましたが、本当に意味があるのか疑問に思っています。それよりも、プラークを形成させる発酵性炭水化物を極力食べさせない方がいいのではと思います。歯科医師や歯科衛生士が自分の犬でもスケーリングをすることは、獣医師法で禁じられているそうです。

すくすくと成長して、電車に乗せるにはこれ以上は無理という大きさになった時に、愛護団体の仲間たちに最後に会わせてあげたいと思いました。電車に乗せられるサイズぎりぎりの犬用キャリーケースを購入し、餌で釣りながらその中に入れて、電車で片道2時間の旅に出ました。到着すると、大勢の保護犬たちが覚えているのか大歓迎してくれ、我が愛犬の頭は唾液でビチョビチョでした。その横には、また大勢の野犬の子犬が身を寄せ合ってスヤスヤ寝ていました。


<キャリーケースの中で>

散歩中に「何犬ですか?」と聞かれて、「雑種です。保護犬で野犬の子なんです。」と答えると、世間一般に保護犬に対してだいぶ理解が広まっているのか、ほとんどの人が、足を止めて経緯を聞いてくれます。あまりにも怖がりで、酷く疑いの目で人を見たりオドオドしていても、2度目に会う人はちゃんと覚えているようで、態度が違います。2歳になるまで住んでいた所では、ご近所で有名犬になって、随分、可愛がってもらいました。

何と言っても、散歩が一番の難関です。人間や車などへの警戒心が異常に強く、外に出るのが大嫌いです。首輪を持つと、散歩の気配を感じてサーっと逃げていきます。他の犬なら、大喜びする瞬間だと思うのですが。

あまりの恐怖に脱糞することもあり、今でも散歩に連れて行くのがちょっと可哀想です。人通りの少ない小道では上手に伴走ができますが、車が通る道路では、この世の終わりかのように必死で宛てもなく走るか、硬直して一歩も動きません。私が糞の始末をしている時には、お座りして待っていてくれますが、ブルブル震えて逃げ出したい気持ちを一生懸命抑えているようです。最初は玄関を出ることさえできなかったことを思うと随分進歩しているので、そのうち普通に散歩ができるようになるでしょうか。


<車が近くにあると梃子でも動きません>

2歳を過ぎると、成熟した成犬になり、私が嫌がることをしないように配慮してくれていることに気が付きました。朝早く騒いで起こしに来なくなり、私が起きる気配を感じてから、寄って来ます。夜は、私が布団に入ると、体を擦り付けて甘え、一緒に寝るまでになりました。彼女が顎を私の体に乗せてくると、確かにオキシトシンが分泌するのか、幸福感に包まれます。


<腕枕をせがむまでに>

この子にとっては自由に仲間と野山を駆け回っていた方が、短い命だったとしても、その方が幸せなのかなと思うこともあります。母親から引き離されて、兄弟とも別れて、避妊手術を受けて、都会の中で命を全うしていくことが果たして。。。でも、人間と共存するように進化した飼い犬のDNAを持つので、やっぱり人間を主として生きる本能が色濃く残っていることを感じます。懐くまでに時間がかかりましたが、その分、愛情いっぱいの眼差しで見つめてくれる度に、喜びも一入です。たった一頭の経験話なのですが、他の野犬の子でも、きっと良きパートナーになるだろうと思います。犬好きの方、犬を飼いたいと思っていらっしゃる方に、この子犬の物語が御参考になれば幸いです。

著者西 真紀子

NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー

略歴
  • 1996年 大阪大学歯学部卒業
  •     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
  • 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
  • 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
  • 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
  • 2018年 同大学院修了 PhD 取得

西 真紀子

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