「ある野犬の子犬物語」<https://d.dental-plaza.com/archives/13126><https://d.dental-plaza.com/archives/13132>を読んでいただいた徳島大学名誉教授の西野瑞穗先生も、大変な愛犬家で、17年間パートナーだったワンちゃんのお話を聞かせてくださいました。この度、その思い出話を寄稿していただきました。 1991年1月3日大阪の実家から徳島に戻った時、自宅前で、寒さに震えうずくまっている子犬を発見。抱き上げて家の中に連れて入り、冷蔵庫にあった牛乳を温めて与えても飲まず、翌朝、動物病院に連れて行くと獣医の先生が「死ぬ直前でしたね」と言って処置して下さり、一命を取り留めました。獣医さんに名前を聞かれ、お正月に拾ったので、Happy New Year! の「ハッピー」と決めました。このようにしてハッピーはうちの子になりました。 お正月明けの大学勤務の際は、大学に連れてゆき、教授室に置いて、教室事務の方にその旨伝え、診療や授業をしていました。お昼に研究室に戻ると、ハッピーが尻尾をちぎれんばかりに振って迎えてくれました。ひとりで待つのはよほど寂しく、不安だったのでしょう。 半月もすると、体がしっかりしてきたので、自宅の庭に十分な餌と一緒にお留守番をさせましたが、わたくしは夜遅くしか帰宅しないので、ずいぶん寂しい思いをさせたと思います。 ハッピーから学んだことがあります。留守の間、ひもじい思いをさせないように沢山の餌を置いておくと、決して過食せず、余分の食料は土の中に隠しておくのです。ある日、わたくしがハッピーと遊んでいると、庭を掘っているので、何をしているのだろうと観察していますと、土の中から食べものを掘り出してきて食べはじめました。「花咲かじいさん」のおとぎ話で、「ここ掘れワンワン」と宝物を掘り出す犬の話がありますが、作者が、宝物を埋めた場所を決して忘れず、必要な時に取り出すという犬の習性をよく知っていたのだと知りました。そして、犬は過食で体を壊すことはない。わたくしは、過食で肥満、高血圧、わたくしより犬のほうがよほど賢いことを学びました。5歳10か月。自宅から近い吉野川第十堰にて。美人でしょ! わたくしの住む竜王団地というところは、徳島県が東京の住宅地デザイナーに依頼し、設計したもので、各住宅は高い塀で囲わない、各家の門口には徳島県の木「ヤマモモの木」を植えるという決まりがあります。わたくしは大阪大学から徳島大学に赴任し、徳島で初めて住宅を購入するとき、不動産屋さんとの取引に躊躇、徳島県知事あてに購入手続きをする、高い塀が無く360度周囲から見通せ安心である、の2点から、この団地を購入しました。ということで、庭に犬を放し飼いすると犬が外に出てしまうので、庭周囲を網で囲いました。 ところが、ハッピーが小さいうちは大丈夫だったのですが、成長すると庭の築山からフェンスを飛び越え道路に出てしまうことが可能になりました。 ある日帰宅するとハッピーが門扉の前にうずくまっており、驚いて見ると顔周辺に大けがをしており、慌ててかかりつけの獣医さんに連れて行きました。上顎骨骨折、歯もグラグラということで、ヒトと同じ処置、歯にブラケットを装着し、ワイヤーで固定する処置が施されました。 獣医さんといえば、わたくしの出張が一泊の時は、ハッピーを庭に置いて出かけましたが、2泊以上の時は獣医さんに預けて出かけました。あるとき、出張から帰り、ハッピーを受け取りに行き連れて帰ろうとしますと、獣医さんの目の前ですぽっと首輪が外れてしまいわたくしは大慌て、獣医さんはばつの悪そうな顔で「他の犬や猫の鳴き声がするためか、ハッピーは全く餌を食べてくれませんでした」とのこと、痩せてしまって首輪がはずれてしまったのです。それ以来、出張時も自宅の庭(犬小屋)に置いていくようにしました。 14歳3か月。いびきをかいて熟睡します。 ハッピーは家の中で、決して排尿排便をしませんでした。躾けたわけでもないのに、トイレに行きたくなると自分で玄関の方に行くので、戸を開けてやるとさっさと庭に出てゆき、トイレを済ませて玄関に戻ってきました。17歳で耳が聞こえず、眼もほとんど見えなくなっても、その習慣は変わりませんでした。 中央の小さい写真は、わたくしがテレビを見るときいつも座る椅子に登りたがり、そこで熟睡しているハッ ピー(15歳)。その後、その椅子にも登れなくなり、床の上で寝るようになりました。 陽あたりの良い庭で昼寝する17歳のハッピー。耳は聞こえず、眼もほとんどみえません。 2006年3月徳島大学を定年退職し、7月からモンゴル健康科学大学(現モンゴル国立医科大学)に徳島大学・モンゴル健康科学大学間学術交流オーガナイザー、モンゴル健康科学大学客員教授として赴任することになりましたので、ハッピーは大阪の実家で預かってもらおうと移動用ケージも買って準備を進めていたところ、「そんなに老犬になってから見も知らぬところに移動させるのは可哀そう。預かってあげますよ。」とご近所の方が言って下さり、その方に預かってもらうことになりました。上記の写真は、久々に帰国したわたくしと自宅の庭でくつろぎ、お昼寝するハッピーです。 モンゴルに戻って、しばらくして、それまで日本から電話があることは1回も無かったのに、ある日、日本からの電話ということで受けてみると、ハッピーを預かって下さっていた方が泣き声で、「ハッピーが亡くなりました。大風の吹いた日、強風でいろんなものが落下するのに怯えたのか、囲いの植木鉢を乗り越え出てゆき、翌日近所の方々と総出で探したところ、道路を横切り、神宮別宮川に落ちて亡くなっていました。」とのことでした。耳も聞こえず、眼も見えない状態で、大風のなか、どんなにか怖かったことでしょう。動物は死ぬ時、姿を消すというのも本当だなと思いました。 ハッピーのお骨 ハッピーはアニマル葬祭場でお骨になり、一部は、17年過ごした我が家の桜の木の下で眠り、一部は、エーデルワイスの花咲くモンゴル健康科学大学のエルヘス・キャンプで散骨しました。ハッピーは千の風になって、モンゴルの抜けるように青い大空を吹きわたっています。 作者不詳の詩「虹の橋」(原文英語)は、次のように詠います。 天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。 この地上にいる誰かと愛し合っていた動物たちは、 死ぬと「虹の橋」へ行くのです。 そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。 たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、 彼らは暖かく快適に過ごしているのです。 略 みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。 それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんが ここにいない寂しさを感じているのです。 略 突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。 速く、それは速く、飛ぶように。あなたを見つけたのです。 あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。 そしてもう二度と離れたりはしないのです。 幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、 あなたの両手は愛する動物を優しく愛撫します。 そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。 あなたの人生から長い間失われていたけれど、 その心からは一日たりとも消えたことのなかったその瞳を。 それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡って行くのです。 和訳:YORISUN 西野瑞穗 略歴: 1965年3月 大阪大学歯学部卒業 1969年3月 大阪大学大学院歯学研究科修了 歯学博士 1970年~71年 アメリカ・イリノイ大学歯学部客員研究員 1977年5月 徳島大学歯学部教授 1989年4月 中華人民共和国南通医学院名誉教授 1993年~97年 徳島大学歯学部附属病院病院長 2001年~03年 徳島大学学長補佐 2006年4月 徳島大学名誉教授 2006年7月~08年4月 モンゴル在留、 徳島大学モンゴル健康科学大学間学術交流オーガナイザー、 モンゴル健康科学大学客員教授 2008年4月 モンゴル健康科学大学(現 モンゴル国立医科大学)名誉教授 2008年4月 モンゴル歯科医師会名誉会員 2009年4月~2021年5月 徳島歯科学院専門学校非常勤講師
著者西 真紀子
NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー
略歴
- 1996年 大阪大学歯学部卒業
- 大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
- 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
- 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
- 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
- 2018年 同大学院修了 PhD 取得
- NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP):
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